暁に咲く華 −1−










 静かな湖に囲まれたデュナン城に一人の旅人が訪れた。

 すらりとしたいでたちのその青年は、まるで顔を隠すかのように頭からマントを被っていた。
 誰が見ても城門で引き止められる、そう思わせる風体であるにも関わらず、もともと城壁に囲まれた中に市街地があるからか入城するにはそう難しいものではなかった。
 現在、まさに戦争真っ只中であるというのに、商人や強面の兵士志願者、はては観光客まで訪れるこの場所は、一介の旅人である青年の目から見ても門戸が広すぎると呆れるほどだった。

 強国との戦争中ではあるが、人々の表情は希望に満ち溢れている。
 それほど、この城の統治者は優れていると言う事なのだろう。
 青年は呆れると同時に感心をする。

 どうしたって戦争は人の心に影を落とす。
 ここに住まう人たちもまた、心に影を落としているだろう。けれどそれを乗り越え笑えるだけの強さがあった。

 そして、青年の求める人もまたそんな統治者の元にいる。





「すみません」
 市街地を抜け城門までたどり着くと、さすがに兵士が厳しい目で警護をしていた。
 青年はそんな年若い兵士に声をかける。
 案の定胡散臭いものを見るかのように下から上までじっくりと見られて苦笑する。
 しょうがない事だけれども、やはり気分は良くないものだ。
「何用でしょうか」
 てっきり門前払いをされるかとも思ったが、兵士は相手が怪しい風体の者でも話を聞くくらいの度量は持っていたようだ。
 その事にほっとする。
 たとえ門前払いをされてもどうにかする術はいくつか考えていたが、相手が話を聞いてくれるのならばそれに越した事はない。
 それなりに敬意を払ってくれる兵士にマントを取らない不逞を心の中で謝りつつ、青年は丁寧に言葉を続けた。
「こちらにゲオルグ・プライム殿はいらっしゃいますでしょうか」
「あなたは?」
「私はファルと申します。彼の古い友人です」
「古い友人…?」
 そこで再び怪しまれた。
 それもしょうがない。なんせ求める人、ゲオルグ・プライムはすでに40を越えた壮齢の男性だ。
 片や20代の若い男とくれば上手く関係が繋がらないのも仕方のないことだろう。

 青年は左耳から牙の形をしたピアスを外すと兵士へと手渡した。
「彼にこれを渡してもらえば私が誰か分かると思います」
 兵士はしばし悩んでいるようだったが、「しばらくお待ちください」と言い残すと場内へと消えていった。
 代わりに別の兵士が門番への任に就く。だが、その門番は下級兵士が着込む鎧を身に着けていなかった。その上、どう見ても10代半ばとしか思えないほど若い。
 目が合うと人懐っこい笑みを浮かべるその兵士は、赤い装束に身を包み、黄色いスカーフを巻いた少年だった。
 青年は少年を覗き込み、そして笑みを返した。
「こんにちは」
「こんにちはっ」
 濁りのない瞳の色の中に、何か底知れぬものを感じる。おそらく、彼は何か星を背負っている者なのだろう。
「あなたはこちらの方なのですか?」
「はい。ここに住んでます。あなたは? どこから来たんですか?」
「南から」
「南? トランから?」
「トランよりもずっと南から旅してきました」
「へえ。旅人さんなんですね」
「ええ」
「ここには旅人の方がたくさん来ますよ」
 にっこりと笑って、青年の先にある城下町を眺める眼差し。そこに宿るのは慈愛。
 その瞳の色を見て、青年は「ああ。そうなのか」と納得をする。
「そうみたいですね。話には聞いていたのですが、思っていた以上にたくさんの人たちがいて驚きました。みんな、いい顔をしていますね」
 彼が、統べる者。
 星を束ねる者。
 なぜそんな人物がわざわざ青年の元に来たのかは分からなかったが、おそらくあの兵士に偶然会って怪しい男がいると聞いて見に来たのだろう。
「名前を聞いてもいいですか?」
「あ、ご挨拶が遅れてすみません。僕はリオウって言います」
「私は………」
 こちらも名乗ろうとしたその時。
「ファルーシュ!」
 勢い良く開かれた扉の向こうから、懐かしい顔が現れた。
「ゲオルグ……」
 年を重ね、皺を刻んではいたけれど変わらないその精悍さ。会いたかったその人がそこにいた。
 青年、ファルーシュは被っていたフードを背中に落とす。すると中から現れた美しい銀の髪が零れた。
「わぁっ」
 リオウが歓声を上げる。
 それだけ見事な輝きを持ったそれは、自身の身元を明かすには十分な代物だった。だからこそファルーシュは怪しまれようともフードを取る事が出来なかったのだ。
 けれど今はゲオルグがいる。
「…でかくなったな」
「ゲオルグこそ、年を取ったね」
 年こそ重ねたが変わらない笑顔にファルーシュも笑みを返した。
「当たり前だ。何年経っていると思っているんだ」
「………そうだね」
 ゲオルグが腕を伸ばし、ファルーシュの左耳に触れる。何のために触れたのかすぐに察し僅かに右に首を傾けると目を閉じた。
 チャリと装飾の音と共に耳に掛かる重さを感じて先ほどまで手放していたそれが再び戻ってきたのが分かった。
「大事なものだろう。簡単に手放すな」
「うん。ごめん」
 久しぶりのお説教に苦笑を零すと、「あ、あの」と控えめな声が聞こえてきて二人はそちらへと目をやった。
 そこでファルーシュはリオウの存在を思い出した。
 リオウはなぜか顔を赤く染めてどこか所在なさげにしている。
「どうした、リオウ」
「いえ、その……」
「ごめんなさい。名を告げる前でしたね。私はファルーシュと申します」
 にっこりと笑えば、リオウはさらに顔を真っ赤に染め上げた。
「ん? なんだ、改まって」
「ゲオルグが無礼すぎるんだよ。リオウ殿は同盟軍の軍主殿なんでしょう?」
「え!」
「知っていたのか」
 リオウとゲオルグは目を見開く。
「ううん。でも、目を見たら分かった」
「そうか」
 どこか感心するかのように笑うゲオルグは、リオウの頭を撫でた。
「良かったな、リオウ。一目でお前が軍主だと分かったみたいだぞ」
「はいっ! すごいですね、ファルーシュさん。まるでゲオルグさんみたいだ」
「ゲオルグ?」
「はい。ゲオルグさんも、僕が軍主なのを一目で見破ったんですよ」
「そうなんだ」
「そんな大層なもんじゃなかったんだがな」
 照れくさそうに笑うゲオルグは、やはり記憶の中のゲオルグと重なった。
「あ。お話があるなら中に入りませんか。ここは人の目もありますし、その……ファルーシュさん、綺麗だから目立っているみたいです」
 確かに周囲が先ほどよりも騒がしい。
 だがそれは軍主殿がいるからではないのかと思いながらも、その言葉にファルーシュは笑った。
「お褒めの言葉をありがとうございます。リオウ殿」
「あ、あの! ついでに敬語もやめてもらえると……。あと呼び捨てでいいです。なんだか年上の人に敬語や『殿』って言われるとむず痒くって」
 居心地悪そうに肩を竦めるリオウに、ファルーシュは頷く。
「わかった。そうさせてもらうね、リオウ」
「はい!」
 元気な声と笑顔についつられる。
 城内へと案内されながら、ファルーシュはこっそりとゲオルグに囁いた。
「いい軍主様みたいだね」
 それに小さく笑ったゲオルグは、ファルーシュと同意見のようだった。








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