暁に咲く華 −2−















 城内へと案内されたファルーシュは、ゲオルグと共に最初は食堂に行こうと思ったのだが、食堂は食堂で人目がありすぎる事と、ファルーシュとゲオルグのせっかくの再会なので「二人きりでどうぞ」とリオウにゲオルグの部屋で話をする事を勧められた。

「相変わらず物がないね」
 そしてその通りにゲオルグの部屋に通されたファルーシュはふふふ、と笑った。
 そんな彼をゲオルグは眩しいものを見るかのように目を細める。

 12年ぶりに再会した親友の息子は、それは美しく成長していた。もともとファレナ女王家の前女王アルシュタートに似て男にしては可愛らしい顔立ちをしていたが、年を重ねて洗練されたようだった。
 だが、まるきり女に見える訳ではなくきちんと男らしく成長を遂げてもいるが、一瞬どちらか迷うほどには中性的な顔立ちだった。
 背も大分伸びて昔はゲオルグの胸の辺りまでしかなかったのに、今では鼻の頭くらいまである。
 体格も昔の細く華奢なだけの印象ではなく、同じく華奢ではあるがしっかりとした大人の体型になっていた。
「大きくなったものだな」
 しみじみと言えば、彼は小さく苦笑する。
「さっきも言ってたね。そんなに変わった?」
「ああ。変わったな」
「そう……。ゲオルグは…そんなに変わらないね。皺はあるけど」
「一言余計だ」
 もう40も過ぎたのだ。皺の一つも増えるだろうと笑う。
「それよりも、女王騎士長のお前がなぜここにいる」
「もうぼくは女王騎士長じゃないよ」
「リムスレーア陛下が結婚したのか? そんな話はこちらには来ていないが……」
 ここから遠く離れたファレナ女王国の情勢はノースウィンドウまでは届きづらいものだが、一国の王が結婚したと言うのなら話は別だろう。
 だが、そういった話は届いていない。
 軍師のシュウもそれらしい事は言っていなかったし、名探偵と自称するリッチモンドもまた何も言っていなかった。
「うん。リムはまだ結婚していないよ」
「では、なぜだ」
「……………」
 そこでファルーシュは口を閉じた。迷うように瞳が揺れている。けれど彼は何も言わずに目を閉じた。
「何かあったのか」
「……ぼくが女王騎士長を辞したのは、リムがぼくを必要ないと言ったからだよ」
「あの女王が?」
 あのファルーシュにべったりだった女王がまさかそんな事を言うとは思えない。
 だが、人を変えるには12年の歳月は十分なほどだ。
「まさか…」
「ああ。誤解しないで。リムとぼくは今でも仲良しだから」
 そう言って笑ったその顔に偽りは見えない。ではなぜそんな事になったのが分からなかった。
「違うんだ。ただ、ぼくが……ゲオルグに会いたがっていたのを知っていたから、リムがもうぼくの力がなくても国を支えていくからって、ぼくは必要ないって言ってくれたんだよ」
 淡く微笑むその姿はどこか頼りなくて、つい頭を撫でてしまった。
「ねぇ、ぼくを何才だと思っているの」
「そうだったな。では、これでどうだ?」
 ゲオルグの記憶の中にあるファルーシュはまだ15才の少年だったため、以前の癖でついやってしまったが彼はもう大人だった。
 ゲオルグは頭にのせていた手を背中に回し、そっと引き寄せる。ファルーシュは大人しくゲオルグの肩に頭をのせると、その両手もまた背中に回した。
「懐かしい。ゲオルグの匂いがする……」
「そんなもの覚えているのか」
 自分の匂いなど、土と血の入り混じったものでしかないのに。
 ゲオルグもまたすぐ近くにあるファルーシュの髪に顔を寄せる。
「相変わらず、甘い匂いがするな」
 香でも焚いているのかと思うほど昔から甘い匂いを身に纏っていた。
「それはゲオルグでしょ。いっつもチーズケーキを持ち歩いていてさ」
「好物なんだ」
「…まさか、今も持って歩いているの?」
 驚きに目を見張ったかと思うとついで噴出す。
「悪いか」
 年甲斐もなくついすねたような口ぶりで返せば、ファルーシュは笑うのを止めて首を横に振った。
「………ううん。安心した。変わらないものもあるんだ」
 ファルーシュの声が歪む。
 そっと顔を上げた彼の顔は目じりに涙を浮かばせていて、ゲオルグはその涙を吸い取るように唇を寄せた。
「ゲオルグ……」
 切ない声が耳元に響く。
 二人は引き寄せられるように唇を寄せたのだった。



 ゲオルグとファルーシュは、かつて王子と女王騎士の間柄以上の繋がりを持っていた。
 ファレナの内乱が終結した後、ゲオルグは再び旅の空へ、ファルーシュはリムスレーアが結婚するまでの間、女王騎士長として妹を支える事にしたのだ。
 二人は互いに納得した上での別れだった。

「他に恋人とか作っていたかと思ってた」
「それは俺の台詞だがな」
 ゲオルグよりも遥かに若いファルーシュだ。自分のことなど忘れて他に想いを寄せてもいいものを。
「正直に言うと、他の人と付き合ってみようとした事もあった。ゲオルグとはもう会えないと思っていたから、でも、ダメだった」
 照れたように笑う顔は少年の頃と変わらない。
 ゲオルグはそんな青年に今一度唇を落とした。
「ゲオルグなんだなぁ」
 しみじみと呟かれて苦笑する。

「で、ここに来た目的は俺に会いに来ただけではないのだろう?」
 先ほどの迷いを見せた目は、ただ想い人に会いに来ただけのものには見えなかった。
 ゲオルグに会いたかったという気持ちに偽りはなかったとしても、おそらく他にも理由がある。
「そんな事ないよ。ぼくは自由の身になった時、一番に思った事が何か分かる? あなたの事だよ、ゲオルグ」
 ゲオルグから身を放し、狭い部屋の中の唯一の窓へと足を向けた。
「シグレとサギリがあなたの事を探してくれた。群島諸国を越え、トランのさらに北のサウスウィンドウ。さらに北上したノースウィンドウのデュナン湖のほとりにある城にゲオルグがいるって」
 そこから城下を見ているのだろう。少し伏せ気味になった顔に横髪がかかりファルーシュの表情は伺えなかった。
「だが、お前は現女王の兄だろう。いくら女王騎士長の任を降りたからと言って好き勝手に出歩いていい訳ではあるまい」
「確かに…」
 そう言って自嘲気味に笑う。その姿にゲオルグは眉を寄せた。12年前はこんな風に笑ったりしなかった。
「任を降りたからと言って自由になったとは言えない。ぼくの生まれがぼくを自由にはしてくれない。ああでも、勘違いしないで。ぼくはファレナ女王家に生まれた事を疎んだりしていない。リムの兄であることもね。…重いと感じる事はあっても、嫌だと思った事はないんだ」
 父と母と妹、そして叔母を、ファルーシュは心から愛していた。そして誇りを持っていた。ファレナを心から愛し、慈しむ彼らを。そこに偽りなどはない。
「だけど少しね……」
「疲れたか」
「……………疲れたなんて、言えないよ。ぼくよりも遥かに大変な思いをしているのはリムなんだ。ぼくのはただの、我侭だ」
 そうして目を伏せる。
「だけど少しの間だけでもいい。あなたのそばに、いたい」
「今は戦争中だ。ここもいつ戦火に巻き込まれるか分からんぞ」
「分かってる。それでも……」
 切実な思いがひしひしと感じるその声に、ゲオルグは大きなため息を一つ吐いた。
「仕方のない奴だな」
「…ゲオルグ」
「自分の身は自分で守れよ。リオウとシュウ殿には俺から伝えよう」
「シュウ?」
「正軍師殿だ」
「ありがとう。ゲオルグ」
 そうして浮かべた微笑はひどく儚いものに見えた。
 疲れている。
 ゲオルグは再び城下へと視線を移してしまったファルーシュを見ながら思案に暮れるのであった。








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