にっこり。
何度経験しても、やはりこの瞬間と言うのは緊張するもので、僕はギュッと目をきつく瞑ったままその時が来るのを待っていた。
けれどいつまでたっても訪れるはずの感触が唇に落ちてこなくて僕はそっと目を開いた。
すると、彼はじっと僕を見詰めていて、自分ひとり目を瞑って先輩からのキスを待っていたのかと思うと恥ずかしくて死んでしまいそうだった。
熱くなった頬を隠すために慌てて顔を伏せると、先輩が小さく笑った気配がして視線だけを彼に向ける。
「そんな顔をしないで」
やっぱり笑っていた先輩は、僕の頬を大きな手で包んだ。
「ごめんね。目を瞑っている直斗も可愛いかったから」
「なっ、なにを突然・・・!」
目を閉じた姿を見せるのはこれが初めてではないはず。
それを今さら可愛いだなんて!
「ねぇ、たまには直斗からキスして?」
「え・・・」
一瞬、なにを言われたのか分からなくてぽかんと先輩を見つめた。
「このままだと目を瞑った直斗に見惚れてキスができないから」
「は!?」
「だめ?」
「だ! ダメって、そ・・・そんなっ」
さっき以上に顔が熱い。
僕からキスをするなんて今まで考えた事も、しようと思った事もなかった。
「そんな事・・・」
できません!
そう言いたかったけれど、じっと見つめる先輩の瞳を見てしまってはもう否とは言えず、僕は小さく頷く。
「!」
その瞬間、先輩がにっこりと笑った。
それはもう本当に嬉しそうに笑ったので、僕は驚いて目を瞬いた。
「僕からって・・・そんなに嬉しいんですか?」
そっと寄り添いながら問いかける。
「それはもう」
そう言ってやっぱりにっこりと笑った彼は、なんだか少し可愛く見えて僕も自然と笑みが浮かんだ。
「それにしても、僕に『見惚れて』っていう理由はどうかと思いますよ」
ドキドキと高鳴る鼓動を隠すために早口で言う。
「本当なんだけどな」
「・・・ウソツキですね」
言いながら、目を閉じた先輩の端整な顔立ちに見惚れている自分を自覚する。
触れ合う瞬間、お互いの口元が笑みの形を作った。
配布元:Abandon
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