噂の二人
月・火・木・土。そしてたまに水。
一週間のほとんどの放課後を一緒に過ごす事が多い樹と直斗は、いわゆるお付き合いをしている間柄だ。
出会って半年以上。けれど互いに警戒しあう間柄だった二人が、和解し、まともに会話を交わし始めたのはつい二ヶ月前。
それから瞬く間に恋におち、想いを伝え合ったのが一ヶ月前。
付き合い始めたばかりの二人は、それはそれはひどく甘い雰囲気に包まれていて誰にも割って入ることなどできやしない。
「直斗、一緒に帰ろう」
「は、はいっ」
今日も今日とて樹は直斗に声をかける。
昇降口で靴を履き替えて、二人並んで帰る。
最初こそ、樹の男前度はいつもの事ながら、直斗の乙女っぷりに唖然としていたものだが、今では見慣れた光景と黙認されていた。
そんな二人の進展具合はというと・・・。
「ひゃっ」
びくりと、直斗の体が震えた。
次の瞬間彼女の頬は真っ赤に染まり、触れた手を引っ込められて宙に浮いたままになった己の手をそのままに樹はしばし呆然とする。
「あ・・・」
すぐに手を繋ごうとして拒否された事実に気がついて苦笑する。
「す、すみません! あのっ。あのっ! そうじゃなくてっ! そのっ・・・!」
嫌で手を引いてしまったのではないと、言いたいのは直斗を見れば一目瞭然。
樹は不満な顔をすることなく分かっているよと優しく笑う。
そうして逃げた彼女の手をさらりと掬って握り締めた。
「う・・・」
さらに頬を染めて、俯いてしまった直斗。
そんな直斗を見て頬を緩める樹。
ご馳走様。である。
そんな訳で、周囲は手を繋ぐだけで顔を真っ赤にしてしまうような彼女を相手に深い関係まで到達できるとは思ってはおらず、二人は清い関係であろうと誰もが思っていた。
「本当のところは?」
「は?」
「お前と直斗の進展だよ。どこまでいったんだ」
「その話か。何の事かと思ったら・・・」
色々お年頃な彼らはやっぱり下世話な話も大好きで、ましてや近くに彼女持ちがいれば当然気になるアレやコレ。
「何もないよ」
「え。マジで?」
「マジで」
重ねて頷けば陽介はやっぱりなぁと頷く。
「百戦錬磨っぽいお前でもやっぱ直斗といたすのは無理だったか!」
妙に嬉しそうに笑う親友に苦笑する。
「百戦錬磨ってなんだよ」
「違わないだろ〜? こっちに来る前けっこう遊んでいたんじゃないのか?」
「遊んでないよ。確かに、女の子と付き合うのは初めてじゃないけど」
正直に白状する。特別話しても困る事ではない。
実際、今まで付き合った女の子とはおままごとの様に可愛らしいもので、心の底から湧き上がる葛藤とは無縁だった。
つまりは、本気ではなかったのだ。
そんな樹の様子を見て陽介がいやらしく笑う。
「やっぱもてる男は違うねぇ。・・・で、その元カノとはどこまでい・・・」
と、そこまで言った所で突然陽介が「やばっ」と顔を顰めた。
その様子にまさかと背筋がひやりとする。
「・・・・・・・・・・」
振り返ると、不機嫌そうに眉を吊り上げた直斗の姿があって「しまった」と心の中で舌打ちした。
「なお・・・」
呼びかけたところで身を翻して教室を出て行ってしまった直斗を急いで追いかける。
陽介にどんなにからかわれようと構わない。
けれど、直斗に失望されるのは耐えられない。
階段駆け上り、屋上の扉を開けて周囲を見渡す。
直斗はここにいるはずだと息を弾ませて探すと、陰になって見えにくい、死角になっている場所で小さくなってうずくまっていた。
「直斗・・・」
呟くように名を呼ぶと、彼女はびくりと肩を震わせた。
いつか、手を繋ごうとして驚いたのとは違う。
怒りでなのか、失望でなのか分からなかったけれど。
「直斗」
今度はしっかりと名を呼ぶが、直斗はこちらを見ようとはしなかった。
彼女に近づき、同じように腰を下ろして肩に触れる。
華奢な肩は小さく震えていた。
「・・・ぅっ」
嗚咽が、微かに聞こえた。
泣いていると思ったとたん、切なくなってその身体を引き寄せる。
重心が樹に掛かった。
抱え込んだ身体は小さくて、さらに胸が締め付けられた。
「なんで、泣いているの?」
「分かりません・・・」
首を振る。
「俺の過去のことで怒ったんじゃないの?」
「・・・確かに、少し・・・腹がたちました。でも、それだけじゃなくて・・・」
「うん」
「・・・悲しくて、不安で。悔しくて・・・心の中がぐちゃぐちゃで・・・」
ぽろぽろと涙を流す直人の髪を撫でた。
「なんで、悲しかった?」
「・・・先輩に、好きな人がいたから」
「過去の話だよ?」
「それでも、悲しかった」
「そっか。ごめん」
ふるりと首を横に振られる。
「・・・不安だったのは?」
「・・・・・・先輩が・・・他の人を好きになるかも、しれないと・・・」
語尾が小さく震えた。
「直斗以上に好きになれる人なんていない」
少しでも不安がなくなるようにぎゅっと抱きしめる。
「・・・悔しかったのは?」
「・・・・・・・」
話してくれると思ったのに、今度は黙り込んでしまった直斗の顔を覗き込む。
すると、唇を噛んで口を噤む姿があって、驚く。
「話してくれないの?」
「・・・は・・・話せませんっ」
ぎゅっと身を硬くする。
「なんで?」
重ねて問いかけても、耳まで真っ赤に染めた直斗は口を開こうとはしなくて。
「直斗・・・」
困り果ててしまう。
「・・・確かに俺は、直斗と付き合う前、女の子と付き合ったことがあったけど、直斗以上に好きになった人はいないよ。
こんなに好きになった人は初めてだし、すごく、直斗の事を大事にしたいんだ」
だからこそ、触れたくても触れられない。
越えたい一線も、怖くて越えられない。
すべては直斗に嫌われたくないからだ。
脅えられて、心が離れるのが怖い。
けれど今、触れなくても心が離れそうなのかもしれないと思うと、いてもたってもいられなかった。
どんなことでもいい。
直斗の事を知りたかった。
自分のせいで離れそうなら、なんとしてもその理由を知って直せるものはすべて直したい。
だから。
「教えて欲しい。直斗」
懇願すると、直斗は真っ赤な顔のまま樹を見上げた。
目が合うとすぐに逸らしてしまったけれど、ようやく話してくれる気になってくれたのか、僅かに唇が開く。
「・・・・・・ったから」
「え?」
聞き取れなくて、聞き返すと直斗はぎゅっと目を閉じて今度こそ大きな声で言った。
「誰かが、あなたに触れたのだと思うと・・・っ! あなたが、僕以外の人に・・・ふ、触れたと思ったら、悔しかったんですっ!」
色気のない、開き直ったかのような声。
けれど、羞恥心は抜けきらなかったのか、首まで真っ赤になって目じりに涙を溜めた直斗は今度こそ俯いてしまった。
当の樹はというと、告げられた言葉の意味を飲み込むのに時間が掛かって、ただ呆然と直斗を見つめ続けた。
「・・・それは・・・つまり、嫉妬していたって言う事?」
「・・・・・・そうだって・・・言っているじゃないですか・・・・・・・・・・」
消え入りそうな声で肯定されて、胸中から喜びが湧き上がる。
それはつまり、そういうことなのではないか。
直斗もまた、樹に触れたいと思っているのではないのか。
「直斗っ!」
嬉しくてぎゅっと抱きしめると、直斗は抵抗することなく胸に納まってそれがまた喜びを呼ぶ。
自分が思うように、直斗もまた樹に触れたいと思ってくれているのならこれ以上嬉しい事はない。
もしかしたら一線を越えるのもそう遠くないかもしれないと邪な事を考えて、今度ちゃんと聞いてみようと決めた。
月・火・木・土。そしてたまに水。
恋人同士の二人は、周りが羨むほど甘い雰囲気を醸し出す。
「直斗、一緒に帰ろう」
今日も今日とて男前な神凪樹がクール(のはず)だけど彼の前では乙女な白鐘直斗にお誘いの声をかける。
いつもは顔を真っ赤にして初々しい反応を返す彼女。
けれどその日は。
「はい」
綺麗に微笑んで、自然に横に並んで歩き、自然と互いの指を絡めあう。
寄り添って、顔を見合わせては微笑みあってそれまでの二人にはない、親密で濃密な空気が流れていた。
コレハモシカシテ!
周囲は騒然とする。
二人がもしかしたら!なんて噂は瞬く間に学校中に広がるが、真実を本人たちに問う猛者はおらず、やがて二人のそんな姿が当たり前になったのだった。
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