戸惑い−おまけ−
引き止めた声は彼には届かず、びしょ濡れのまま帽子を持って走り去ってしまった少年。
樹は川に座り込んだまま呆然とその背を見送った。
まだ、この腕に残る感触。
抱きしめた身体は思いのほか柔らかく、まるで女の子のようだった。
「そんな訳・・・ないよな」
突然の事に動揺しているんだろうと頭を振る。
それでも脳裏に焼きついているのは戸惑った表情や恥じらいだ表情ばかり。どれも男というには繊細な印象だった。
小さくて、華奢で、可愛い・・・少年。
「・・・俺ってそっちもありだったの?」
少しばかり早い鼓動。
戸惑って「まさか」と否定して、とにかく川から出ようと立ち上がる。
足場のブロックに干してあったシャツを取り上げ、湿っていたけれどそれを着て自宅へと向かう。
なんだか今日はもう早く帰って寝たかった。
「カゼ、ひいてないといいけど」
すでに姿が見えない人を思いながら、樹はくしゃみをした。
数日後、樹はまたも鮫川の土手にいた。
東屋でごろごろと喉を鳴らす猫と遊びながら避暑をしているとふいに視界が影って樹は顔を上げる。
「きみは・・・」
「・・・先日はどうも」
深い、藍色の瞳をした少年・白鐘直斗。
あの日の動揺は日がたつにつれて落ち着いて、やはり気のせいだったのだろうと安堵していたのに、再び心臓がざわめくのを感じた。
「カゼひかなかった?」
動揺をかくして問いかける。
「はい。大丈夫です」
頷いて、そのまま黙り込んでしまった。
「隣、座る?」
「・・・はい」
そうして勧められるままに座った彼はまた沈黙を繰り返す。
なにをしに来たのか、無理に聞き出さずに話し出すまで待とうと膝の上の猫の身体を撫でた。
「聞きたいことがあるんです」
「うん。なに?」
やがて口を開いた直斗を見る。
連続殺人事件の事かな、と思いつつ先を促すと彼の口から出てきたのは予想外の問いかけだった。
「先日会った時、なぜ僕を誘ったのですか?」
「え?」
「この、鮫川に・・・」
「ああ」
ジュネスでの偶然の出会いを思い出す。
あの日、すれ違った彼はひどく追い詰められた表情をしていた。
事件の内容が内容なだけに捜査が上手くいっていないのだろう事は分かっていたけれど、さすがにあんな顔を見たら放ってはおけなかった。
真実を知る己と、真実を追う直斗。
テレビの中に入れられて人が殺された。なんて話を、探偵の彼が信じるとは思えない。
だからと言って何も話さず煙に巻いて遠ざけるのが良い事なのかと言われると、正直なところ樹には分からなかった。
だからせめて、真実を教える事ができない代わりに、少しでも心が休まればいいとこの川原まで連れてきたのだ。
だが、追い詰められているようだったからと言ってしまってもいいのだろうかと考える。
何度か会って感じたのは、彼はプライドが高いという事。
下手に言えば機嫌を損ねそうだ。
どうしたものかと考える。
直斗はじっとこちらを見つめてこちらが答えるを待っていた。
そのまっすぐな瞳を見つめ返して小さく笑う。
「なんとなくね、道連れが欲しかったから」
「道連れ?」
「そう。一人で涼むより、誰かいた方がいいかなって思って」
「それで、なぜ僕なんですか?」
「きみがそこにいたから」
分からないといった風に眉を寄せる直斗の表情が可愛い。
「・・・僕は、暇ではないんです」
「うん」
そうだろう。と思う。
そしてそうさせてしまっている事に胸が痛んだ。
「でも、誘っていただいたおかげで、少し頭の中が整理されたのは確かです」
それは少しでも休めたという事なのだろうかと首をかしげる。
「それと、助けていただいてありがとうございました」
「え?」
「・・・川に落ちた時、かばってくれたでしょう?」
「ああ。そういえば、そうだったね」
助けた事よりも、抱きしめた時の衝撃の方が強くて忘れていた。
「怪我をしませんでしたか?」
「大丈夫だよ。こう見えて頑丈だから」
そう言えばほっと表情を緩めて微かに笑みのようなものを浮かべる。それがあまりにも女性的で、樹は思わず息を呑んだ。
その表情はすぐにいつもの硬い表情へと戻ってしまったが、樹の脳裏にはっきりと焼きついた。
「・・・それじゃ、僕はこれで」
「もう行くのか?」
「先ほども言いましたけど、僕は暇ではないので」
きっぱりと言い切ると直斗は軽く会釈をして立ち去った。
その小さな背中を見ながら思う。
「・・・もしかして、女の子・・・なのかな」
もともと顔は中性的だし、女の子と言われれば女の子に見える。
それだと、男にしては柔らかい体と可愛らしいと思える数々の表情が納得できた。
自分の中に生まれつつある感情も、素直に受け止められるのだけれど。
「女の子だと、いいな」
ね。と欠伸をして寝る体制に入った猫の頭を撫でた。
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おまけのおまけ
ラボ攻略後。
「いやー、まさか直斗が女だったとはなー。びっくりだぜ」
「俺はなんとなくそうかなーって思ってたけど」
「マジ? どこで分かったんだよ」
「抱き心地?」
「は!? おまっ、いつそんな機会があったんだよ! ってーか、抱き心地ってどういうこと!?」
みたいな。
こうして樹の猛アタックが始まる(笑)