寒い夜は










 朝から降っていた雪は、はらはらと舞うぐらいに落ち着いていて、なんだかとても彼女と寄り添って歩きたくなった。

 だから傘を忘れたと嘘をつく。
 直斗はその嘘を分かっているのだろうに少しはにかみながらも頷いてくれて、彼女の傘の中に一緒に入った。

 直斗の代わりに傘を持って、触れ合う右側のぬくもりに心まで温かくなって自然と口元に笑みが浮かぶ。
 静かな世界の中で、二人だけ寄り添って微笑み合う。
 それがひどく幸せだった。

「そうだ。今日うちで夕飯を食べていかない?」
「え?」
「叔父さんが今日帰ってくるのが遅いらしくて、菜々子と二人で夕食なんだ。だから直斗さえよければ一緒にどう?」
「はい、ぜひ! 神凪さんの作ったご飯、すごく美味しいですから!」

 白い息を吐きながら、寒さのせいか頬を赤らめて笑う。
 そんに嬉しそうにしてくれるとこちらも嬉しくなって笑みがこぼれた。





 買い物を済ませ、帰ってきた樹はすぐさま夕食の準備に取り掛かり、その間直斗は菜々子と一緒にテレビを見たり、トランプをしたりと遊んでいたようだった。
 食事が出来上がる頃になると、二人そろって食器を出してくれたり、できたものを並べたりと手伝ってくれた。

 暖かい部屋で、暖かい食事を大切な人たちと食べて。
 笑顔が溢れるこの空間がとてもいとおしくてならない。

 幼い頃、欲しくてもなかなか得られなかったありふれた幸せ。

 この町に来てから、凄惨な事件に巻き込まれて大変な思いをたくさんしたけれど、得たものはそれ以上に大きくて樹にたくさんの温かい感情を与えてくれた。

「神凪さん?」

 食事の手を止めて二人を見ていた樹に気がついた直斗が首をかしげる。

「どうかしたの?」

 菜々子もまた一緒に首をかしげてなんだか二人がとても可愛い。

「・・・おいしい?」
「おしいよ!」
「おいしいです!」

 問うと二人は同時に大きくうなずいてくれて、樹はやっぱり幸せだなぁと笑みを返した。



「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでしたー」
「お粗末さまでした」

 やがて終えた食事の時間。使い終えた食器を直斗が「お礼です」と洗ってくれて、その間樹は菜々子と一緒にテレビを見て過ごして。
 気がつけばずいぶんと遅い時間になっていたので、直斗を家まで送り届けないといけない。

「直斗、そろそろ・・・」

 言いかけたところで、ガラガラと玄関の戸が開く音が響いた。
 この家に帰ってくるのは後一人しかいない。

「お父さんだ!」

 菜々子が嬉しそうに玄関に走る。

「おかえりなさい!」
「おかえりなさい」

 樹も同じように玄関に向かうと、そこには雪まみれの叔父・遼太郎の姿だった。

「どうしたの?」
「おう。ただいま。・・・外すげぇ吹雪いていてな、この通りだ」
「え?」

 まいった、と言いながら雪を払い落とす叔父の様子を見る限り、その言葉に誇張はなさそうに見える。

「吹雪いているんですか?」

 どうしたものかと思案していると、直斗が困ったように遼太郎に問いかけた。

「おう、白鐘じぇねぇか」
「どうも。お邪魔しています」

 律儀にぺこりと頭を下げた直斗は、どうしようと眉を下げる。

「今から帰るのか?」
「そのつもりだったんだけど・・・そんなにひどいの?」
「ああ。視界が悪すぎて車で送っていくのも危ないな」
「そっか。・・・もう少し待てば落ち着くかな?」
「どうだろうなぁ」

 カーテンを少し開けて外を見れば、今まで気がつかなかったのがおかしなくらい吹雪いていて、確かにこれでは帰るのは危ない。

「ねぇ、お泊りはだめなの?」
「え?」

 菜々子の問いかけに、直斗が目を瞬く。

「お父さん」
「ああ。いいぞ。白鐘さえ良ければな」
「ええ?」

 事態を把握しきれないのか、直斗葉戸惑うばかりで助けを求められるように見つめられて樹は小さく笑った。

「叔父さんたちもこう言っているし、泊まっていくといいよ」
「で、でも・・・」

 頬を赤らめながら見つめられて、樹もつられて頬が熱くなる。
 直斗が何に対して頬を赤らめているのかを瞬時に理解してしまったからだ。

 実は、直斗が堂島家に泊まるのは今回が初めてではない。
 遼太郎と菜々子の二人が入院している間、離れがたくて内緒で何度か泊めてしまった事があるのだ。
 その時は必ずといって良いほど抱きしめあっていたから、きっとその事を思い出したのだろう。
 現に今、樹がそうであるように。

「・・・無理に帰って何かあったら心配だから」

 さすがに今日は二人ともいるし、そういう事にはならないだろうけど、それでも一晩中一緒にいられるのは嬉しい。

「は、はい・・・。それじゃ、今日はお世話になります」

 ぺこりと遼太郎に頭を下げた直斗は、同じ気持ちなのか恥じらい交じりの笑みを樹に向けた。

「よし。んじゃ、客用の布団を出さなきゃだなぁ。押入れに入っているから菜々子の部屋に運んでおくんだぞ」
「「え?」」

 思わず二人揃って声を上げる。
 それを聞いた遼太郎が眉を寄せてため息をついた。

「おいおい。年頃の娘を、男と同じ部屋で寝かせるわけにはいかないだろ」
「あ・・・そうだよな。うん」

 樹は慌てて頷いてお客様用の布団が入っている押入れへと向かう。そうして誰もいないのを確認して息をついた。

 直斗は自分の部屋で寝るのだと疑いもしなかった。

 ちょっとこれは危険な思考かもしれないと頭を振る。
 二人きりならいいけれど、叔父と菜々子の前はさすがにまずいだろう。
 遼太郎は二人が付き合っているのは知っているだろうけれど、どこまでの仲なのかは知らないはずだ。
 そして、すでに簡単に離れられる関係ではなくなっている事実を知らせるのはまずい気がする。
 誰に知られても構わないと思っているけれど、やはり立ち位置としては父と代わりない遼太郎が相手だと少しばかり意味合いが違う。

 気をつけよう、と改めて気合を入れてから敷布団と毛布と掛け布団、それに枕を全部持って菜々子の部屋へと運んだ。

 しかし、居間に戻ると直斗が顔を真っ赤にしてうつむいるのを見て、彼女もまた同じように樹の部屋で寝るものだと思って疑いもしなかったのだろうと思うと顔がにやけてしまった。

 いけないいけないと、再び心で念じて平常心を取り戻す。

「ひいてきたよ」
「おう。ごくろうさん。・・・んじゃ、とっとと風呂入って来い」

 樹が作った夕食を菜々子が用意したのか、ビール片手に食べながら直斗に言う。

「あ、はい」

 直斗は言われるままに立ち上がり、お風呂場へと足を向けた。同時に樹も自分の部屋に行こうと彼女に並んだ。

「着替え、持ってくるから。入っちゃってていいよ」
「はい。すみません」

 そうして自分の部屋から、以前直斗が泊まったときに来ていたトレーナーとズボンを持って来て脱衣所に置く。
 風呂場の曇りガラスの向こうのシャワーの音とシルエットに、どきりとしながらも平静を装って脱衣所を出た。

 上気しそうな頬を首を振って冷まし、何でもない顔をして居間に戻れば意味あり気にこちらに視線を送ってくる遼太郎と目が合った。

「ずいぶんと慣れてるんだな」
「え? 何が?」

 ぎくりとしながらもそ知らぬ風を装う。現職刑事の洞察力は怖い。

「・・・ま、責任が取れる範囲なら俺は何も言わんがな」
「・・・・・・・・・・」
「?」

 どこまで分かっているんだろうかと内心冷や汗を流しながら、一人首をかしげている菜々子に笑いかける。
 それに安心してか、いつものようにテレビを見始めたが、その場の微妙な空気は直斗が風呂から上がるまで続いたのだった。





 そうして穏やかな時間が過ぎて、直斗は菜々子と共に菜々子の部屋に行き、遼太郎もまた酔いつぶれて自分の部屋に戻ってしまった。

 樹はみんなが寝静まった後に風呂に入り、戸締りを確認してから自室へと戻る。
 階下には直斗がいると思うとなんだか不思議な感じだと思いながら、ソファに座って濡れた頭を拭いた。

 以前泊まりに来た時は同じ部屋で、そのぬくもりを分け合っていた。それが今は同じ家にいるのに自分の隣にいない。だから不思議な感じなのだろう。
 あの頃は冬が深まるにつれ、誰もいないこの家はこれ以上もなく寒くて仕方がなかったのに、直斗がいるだけで暖かくてひどくほっとしたものだった。 
 程なくして遼太郎と菜々子の二人が戻ってきたけれど、それでも少し寂しく感じてなぜだろうと思っていた。

 その理由が今日、わかった気がする。

 遼太郎がいて、菜々子がいて。そして直斗がいて。
 三人の、樹にとってはかけがえのない存在が笑顔で傍にいる。
 それが樹の欲しいもであること。
 だから、誰かが欠けてしまえば寂しく感じる。

 そういう事なのだろう。

 ふと時計を見れば、すでに時刻は日付を変えようとしていた。
 樹は早々に髪を乾かすと布団にもぐりこむ。

 この腕の中に、彼女の存在がないことに物足りなさを感じて苦笑をこぼした。
 明日になれば会えると励ましている己が少しおかしい。

 それから、どれくらいたったのかうつらうつらとまどろんでいた樹の耳にコンコンと戸を叩く音が聞こえて身体を起した。

「はい?」

 何かあったのだろうかとドアを開ける。

「直斗?」
「・・・神凪さん」

 そこに立っていたのは、寒そうに自分を抱きしめながら立っている直斗だった。

「どうした? 何かあった」

 とにかくこのままだと風邪をひかせてしまうと室内に入れると、背中から抱きしめられて驚いて足を止める。
 柔らかな身体に、ぐらぐらと理性を揺らしながらその手に手を重ねた。

「どうした?」

 問えば、背中に額を擦り付けられる。

「・・・寒くて・・・・・・」
「寒い?」
「はい。・・・寒くて、来ちゃいました」

 もしかして直斗も同じ気持ちだったのだろうか。

 重ねていただけの手をしっかりと握って小さな身体を己の身体から放す。
 不安げに見上げる直斗に笑みを返して正面から抱きしめた。

「俺も寒かったよ」

 そっと囁くと、彼女はほっと吐息をこぼして身体を樹に預けてくる。
 しばらくそうして、やがて部屋の寒さに身体が震える頃、樹は彼女の手を引いて布団へと導いた。

「さすがにこのままじゃ風邪引くから、布団に入ろう」
「は・・・はい」

 その時は下心はなかったのだが、頬を赤らめ少し戸惑うように頷いた彼女を見て思わず忘れようと努めていた欲に火がつく。
 けれど今日は家主はもちろん菜々子もいるのだと言い聞かせてぐっと抑えて、二人で布団に潜り込んだ。

「あったかいですね・・・」
「そうだね」

 自然と抱きしめ合ってしまったことに、若干のまずさを感じる。
 この腕の中に欲しかったぬくもりがあるのはいい。けれど優しい感情以外の、もっと凶暴な熱が確かにあって、樹は困り果てた。
 二人の間の、この微妙な空気がいたたまれない。

「神凪さん・・・」

 あえて直斗の顔を見ないようにしていたのに、そっと呼びかけられてしまえば答えないわけにはいかず、樹は少し身体を離して直斗を見た。

「どうした?」
「あの・・・僕、戻った方がいいですか?」
「え?」
「・・・・・・・・・・」

 悲しそうに眉を下げるその顔。

「なんだか・・・神凪さん、困っているみたいだから・・・・・・」

 迷惑なら帰ります。と落ち込んだ声で言われて樹は慌てる。

「確かに・・・困ってはいたけど、迷惑じゃないから」
「でも、困っているんですよね」

 それなら・・・と身体を起そうとする直斗の身体を強く抱きしめた。

「最後まで話は聞く!」
「は、はいっ」

 強く言い聞かせれば、直斗は目を瞬きながらもおとなしく腕の中に納まった。
 引き止めたものの、煩悩をさらしていいものなのかと悩む。けれど、変に遠まわしに言って、歪曲して受け止められたら涙で枕をぬらす事になる。
 それだけは避けたかったので思い切って言う事にした。
 たとえそれで直斗が怒ったとしても。

「・・・困っているのは、直斗が部屋に来た事じゃなくて、二人っきりなのに何もできないから、なんだよ」
「・・・・・・・・・・。えぇっ!」

 理解できなかったのか僅かな沈黙の後、素っ頓狂な声を上げた彼女の様子に笑みがこぼれた。
 こんな下心を抱えているなんて思っても見なかったのだろうと思っていたのだが、

「し、しないんですか?」
「・・・・・・・・・・・えぇっ!」

 予想外の彼女の爆弾発言に樹は驚きのあまり思考が停止する。

「あっ! す、すみません! なんでもないんですっ!」
「ちょっと待った!」

 羞恥心のあまりか、今度こそ樹の腕を払って立ち上がった直斗を慌てて引き止めて抱きしめた。

「離してください! 僕はっ・・・!」
「落ち着いて、直斗!」
「は、恥ずかしい・・・っ!」

 予想以上に激しく抵抗されて、樹は必死で逃さないように力を込めるが、直斗はいっこうに大人しくならない。
 しょうがないと樹は直斗の頬を両手で包むと強引に口付けた。

「んっ・・・」

 反射的に掴まれた腕に彼女の指が食い込んだが、そんなことに構いもせず樹はさらに深く唇を重ねる。

「ん・・・。んんっ」

 やがて落ち着きを取り戻したのか、直斗の身体から力が抜けていく。

「落ち着いた?」
「・・・は、はい」

 そっと唇を離すと、そのまま樹の胸元に顔を伏せてしまった。

「・・・すみません。取り乱してしまって」
「いや、いいけど。・・・キスできたし」
「!」

 びくりと肩を震わせる直斗が愛しい。
 樹は小さく笑ってその身体をそっと抱きしめた。

「・・・直斗がそのつもりなら・・・何かしちゃうよ?」

 髪に、こめかみにキスをする。
 こっちはもとからそういう事したかったのだ。直斗がいいというのなら、そのつもりだったというのなら、止めるこのなどできるわけがない。

 言葉はなかったけれど、熱のこもった、潤んだ眼差しで見上げてくる。

「直斗・・・」

 それが答えだと樹は直斗に唇を寄せた。








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翌朝、寝坊して菜々子が起きる前に部屋に戻れなかった直斗。
直斗がいないと菜々子に叩き起こされた叔父さんはすごい勢いで主人公の部屋にやってくるのでした(笑)