Phantom
その声が聞こえたのは、新しくペルソナを得て仲間になった直斗が作ったダンジョンに住み着いた強力なシャドウを倒しに行ったその帰りだった。
心の琴線に触れる音のない呼びかけが樹の足を鉛のように重くさせた。
「どうしたよ?」
突然足を止めた樹に陽介が声をかける。
同じように首をかしげる直斗とクマを順に見ながら、樹は揺さぶられる心を抑えるように胸元を手のひらで覆う。
「どうしたんだクマ?」
「ん? どうもしないよ?」
ピコピコと可愛らしい足音を響かせながら顔を覗き込んでくるクマに安心させるように笑みを返した。
「本当ですか? 気になることがあったら言ってください」
生真面目な眼差しを受けて樹は苦笑する。
「本当だよ。気のせいだと思うから」
その答えが気に入らなかったのか、直斗は少しばかり眼差しを鋭くさせた。
「なんだよ。いいのか?」
「う・・・ん」
陽介にさらに問われて、樹は言葉を濁す。
気のせいだと思うのに、この心に突っかかる何かが気になって仕方がない。
それなのに、みんなには一緒に確かめに行こうとはなぜか言うことができなかった。
樹を呼ぶ声が、樹以外を拒絶しているように感じるからか。
「神凪先輩?」
微かに混じる心配げな声に顔を上げる。
あまり表情に変化はないけれど、ここ数日共に過ごした経験から彼女が声音の固さの奥に優しさが隠れているのを知っていた。
それと同時にこれ以上もないほど樹の心を震わせる愛らしさも兼ね備えている事も知っている。
ああ、そうか。
樹は、なぜ音なき声に心が揺れるのかを察した。
「・・・似ているのか」
「え?」
「あ、いや。なんでもないよ」
笑って誤魔化して、樹はどこからともなく己を呼ぶ者を思う。
この声の主は直斗と似ている気がする。
だからこそ気のせいとする事ができないのだ。
「悪い、みんな。俺、ちょっと行きたいところがあるんだ。すぐ戻るからみんなは先に戻っていてくれないか?」
放っておく事が出来ないのなら出向くしかないだろう、と決めて樹は改めてみんなに言った。
「は?」
「何言っているんですか!」
「一人じゃ危ないクマよ!」
案の定、三人は止めようとしてきたが、もう決めてしまったのだ。
樹は強引に説得してみんなを先に戻らせると、樹は呼び声を頼りにダンジョン内を走り出す。
そうしてたどり着いたのは直斗のシャドウと戦い、また先ほどまでシャドウと戦いを繰り広げていた手術台のある部屋だった。
「ここ・・・か?」
周囲を伺うが、シャドウの影一つない。
呼びかけは確かにここからだった。
「気のせい、だったのか?」
一通り見ても変化がないので帰ろうかと部屋に背を向けた時、ふいに一つの気配が生まれた。
「・・・帰っちゃうの?」
心細げに、響く声。
「・・・君は」
誘われるように振り向けば、そこにいたのは体のサイズよりも大きい白衣に身を包んだ直斗だった。
正確には直斗の影、なのだが。
「君なのか? 俺を呼んでいたのは」
「そうだよ」
「君は・・・直斗と一つになったんじゃないのか?」
そう。直斗と一つになり、ペルソナとなったはずの直斗の影がなぜこの場にいるのか。
「僕は直斗だけど、直斗じゃないよ」
直斗と同じ顔で、直斗ならしないだろう蠱惑的な笑みを浮かべた。
「あなたに会いたくて、僕は生まれた」
「どういうことだ?」
「直斗と一つになる前に、僕の中に僕だけの自我が生まれた。だから一つになりきれずに分離したんだ」
言っている意味が理解できず、樹は眉を寄せる。
「それと俺と何の関係があるんだ?」
「言ったじゃない。僕はあなたに会いたかったんだって」
直斗の影は白衣の裾を引きずりながら近づくと、樹の首に腕を回して顔を近づけた。
「ねぇ、神凪先輩」
密接する二人にしか聞こえないだろう声で囁かれる。
「僕のものになってよ」
「え?」
言葉の意味を図りかねて樹は目を瞬く。
そんな樹の、武器を持っていない方の手を取るとそれを己の胸に押し付けた。
「ちょっ!」
予想外の弾力のある感触に驚いて離れようとするけれど、直斗の影の力は思いのほか強く離れる事ができない。
「僕を全部あげる。だから、先輩の全部を僕にちょうだい」
後少し、背伸びをすれば、背を屈めれば、互いの唇が重なるような距離。
脳裏には信頼に満ちる真摯な、けれど恥じらい交じりの愛しい直斗の笑みが瞬時に浮かんでいた。
目の前にいるのは直斗であって直斗ではないもの。
「直斗っ」
耐え切れなくなって呼びかければ、ひどく不機嫌そうに眉を寄せた。
「僕はもう直斗じゃないよ」
「え?」
「僕は直斗じゃない」
もう一度はっきりと言い切られ、樹は口を噤む。
「ねぇ、僕に名前をつけてよ。僕だけの名前」
「え?」
「ねぇ、つけて。そうしたら、今日はこれで諦めるから」
そんな事を言われてもと言葉を詰まらせた。
「・・・それとも続きする? 僕はそれでもいいよ? 気持ちよくなるのは大賛成だもの」
艶を滲ませた笑みにぞくりと背筋に痺れが走る。
直斗ではないと分かっていても、直斗と同じ顔でそんな表情をされると制御できない部分の感情が刺激されてしまう。
耐え切れず、樹は頷くと彼女から視線をそらした。
「・・・ナオ、じゃ駄目かな?」
「ナオ?」
「名前」
不満げに唇を尖らせていたが、やがて諦めたのか納得したのか直斗の影・・・ナオは樹から身を離した。
柔らかな体が離れ、樹はほっと息をつく。
「あんまり変わってないけど、ま、いっか。・・・ねぇ、直斗をナオって呼ばないでよ?」
「・・・分かった」
頷くと、ようやくにっこりと笑みを浮かべたナオの顔は、瞳の色こそ違うが直斗そのもので、直斗と別のものになったと言われても実感がなかった。
「ね。また会いに来てね! 待ってるから!」
無邪気な笑顔に苦笑がこぼれる。
直斗もこんな風にいつかみんなの前で笑えるようになればいいのにと、心は彼女の元に飛んでいた。
「わかったよ」
気軽に頷いたのは、そう時が経たないうちにまた直斗の元に戻るだろうと思っていたからだ。
だからこそ、一時でも納得するならと名前をつけた。
けれど、後に樹はこの出来事を後悔する事になる。
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この時点でいろいろゲームと設定が違うのに、この先はさらにパラレル色が強くなっていくと思います。
パラレルが苦手な方はお気をつけ下さい。
エロス影直vs純情直斗!
ちなみにまだ主→直です。でも直斗も少しだけ主←直かな。
自覚がある主人公と、自覚のない直斗。そんな感じ。
影直が直斗の一部だがらひどくは扱えない主人公なのでした。
続きは気長にお待ちください<(_ _)>