夏祭り
カラン、コロンと下駄の音。
藍色に染め上げられた浴衣には白の花が咲き、同じく白い花の髪飾に控えめに付けられた小さな鈴がチリンチリンと小さな音を奏でて耳元をくすぐる。
慣れない姿。
こんな、女の子がするような姿。
浴衣を着て、好きな人の隣を歩く日が来るなんて思っても見なかった。
直斗は、白地の浴衣に濃紺の帯を締めた背の高い青年を見上げる。
「どうした?」
視線に気がついたのか、青年・神凪樹は直斗を見つめ返した。
今は夏休み。
夏期休暇をまるまる稲羽市で過ごすと戻ってきたかつての先輩は、夏祭りの一日を二人で過ごさないかと申し出てくれたのだ。
その時はいつも通り私服で来る予定だったのだが、樹に浴衣で行こうと提案されて大いに慌てた。
そもそも女の子らしい格好をする事に抵抗があるのに、幼い頃のだったらいざ知らず、今の自分に合ったサイズの浴衣なんて持っていなかった。
用立てようにもどういったものがいいのか分からない時に樹に差し出されたのがこの浴衣だった。
しかも、必要な小物もすべて揃って。
藍染であるらしいこの一品は、けして安いものではないだろうに直斗の為に用意してくれたのだ。
抵抗はあったけれど、それでも樹が喜んでくれるならと、恥ずかしい気持ちを押さえ込んだものの、やはり顔が上げられないほど恥ずかしい。
しかもそれを分かっているくせに、樹は何度もじっと直斗を見詰めるのだ。
「やっぱり、すごく似合っているね」
「なっ!」
今回もやっぱり褒められる。
その度に恥ずかしさでに樹の顔を見ることができなくなるのだから止めてほしいと何度願ったし言った事か。
「も、もう、見ないで下さいっ!」
震える声で言っても、彼は小さく笑うばかりだ。
そしてそのかすかな笑みにすら鼓動が騒ぐ。
もう付き合い始めて10ヵ月が経とうとしているのに、胸のドキドキは少しも落ち着いてくれない。
それどころか、月日が経つほどにひどくなっている気がするのは気のせいか。
きっと、遠距離恋愛をしているせいだとか色々考えるけれど、結局のところこのドキドキもそう嫌じゃないから困ってしまう。
ちらりと、樹を見る。
彼は変わらず笑顔でこちらを見ていた。
また一つ鼓動が跳ねて、「あ〜、もうっ!」と心で毒付く。直斗は大きく深呼吸をして、気持ちを切り替えた。
何とか落ち着く事に成功すると、それにしてもと、ちらりと樹を見てその姿に改めて見惚れてしまう。
シャッキリと浴衣を着こなす姿が堂に入っていて、他の誰よりもかっこいい。
「・・・か、神凪さんも・・・すごく似合ってますね」
「そう? ありがとう」
にっこりと微笑みかけられて、再び視線をそらしてしまう。
「あ、あの! 着付け、どうしたんですか? 誰かに着付けてもらったんですか?」
もしかして雪子に教えてもらったんだろうかと考えて、チリリと胸が焼ける。
「いや、自分で着付けたよ」
「え!?」
予想外の返事に目を丸くした。
「実家で母親に叩き込まれた」
「お母さんに、ですか?」
きょとんと目を丸くすれば樹は苦笑して肩をすくめる。
「彼女にいい格好したかったら自分で着付けられるようになれ! だって」
「え?」
彼女とはいったい誰の事かと一瞬考えて、それは自分の事だと認識したとたんカッと頬が熱くなった。
「・・・・・・・・・そ、そうですか」
かろうじて出てきた言葉は色気もへったくれもなくて自己嫌悪に頭を垂れる。
しかし樹は、気分を害した様子もなくうつむく直斗の頭を撫でて「うん」と頷いただけだった。
そうやって、こっちが勢いでそっけない返事をしてしまっても、いつも心得たように受け入れてくれる。
他の人だったら愛想をつかされてしまうような事でも、彼はけして目をそらさずに手を握って傍にいてくれた。
ありのままに、裏に隠された想いもすべて引き受けてくれる。
彼の優しさを感じるたびに気持ちが溢れそうになる。
誰よりも、樹が好きなのだと。
「直斗・・・そんな目で見つめられると・・・困ったな」
ふいにぽりぽりと自分の頭をかいた樹は、キョロリと周囲を見回してから直斗の手を引いて歩き出した。
「神凪さん?」
どうしたのだろうかと思いつつ、引かれるままに後をついていけばたどり着いたのは神社の裏手だった。
提灯の明かりも届かない、薄暗い闇の中。
引き寄せられて、互いの距離が近づく。
「か、神凪さん・・・?」
問いかけると同時に唇に他者の熱が触れる。
唇を唇で食むように擦り合わせて、何度も離れては同じ事を繰り返した。
そんな優しい接触だけでは物足りなくなってきて、互いに深く重ね合わせる。
「ん・・・ぁ」
潜り込んできた熱い舌が、まだ少し緊張している直斗の舌を慰めるように撫でていく。
やがて緊張の解けた直斗は与えられる熱を夢中になって追い始めた。
「か・・・ん、なぎ・・・さんっ」
「直、斗・・・」
耳元を指が擽る。
耳にかけていた髪飾の鈴がチリリとなって互いの耳に響く。
最後にひとつ、吸い上げられて、直斗は「あ・・・」と吐息をこぼして樹の胸元に寄りかかった。
乱れる呼吸を整えていると、大きな手が髪を優しく撫でていて心地いい。
「直斗?」
ぼうっとその感触に酔いしれていると、困ったような樹の声が聞こえてきて顔を上げた。
「急にごめんね」
「え?」
「出店、見て歩いていたのにこんなところに連れ込んじゃって」
「あっ」
ぼっと頬を染める。
「・・・・・・そ、それにしても、なんで突然」
「直斗が可愛いから」
「!!」
「思わず家に連れ込みたくなっちゃったんだけど」
「え、ええっ!」
「女の子の浴衣は着せてあげられないから我慢」
いちいちリアクションを返す直斗の様子を見ていた樹は小さく笑った。
「やっぱり直斗は可愛い」
「か、神凪さんっ」
「ということなので・・・」
「え?」
少し身体を離すと、襟をクイッと引っ張られて首元が露わになって慌てる。
手で止めよとする前に樹の頭が直斗の首元に伏せられた。
「んっ」
瞬間チクリとした痛みが鎖骨の下あたりに走る。
慰めるようにそこを舐められて、体が震えた。
「か、かんなぎさん・・・」
甘い痛みの名残に困った様に眉を寄せると、今度は苦しいほどに抱き締められてしまった。
「あーもう、ほんと! つれて帰っちゃおうかなー」
これだけじゃやっぱり足りないと呟く声に、直斗の鼓動が純粋なだけではない高鳴りを響かせる。
身体に付けられた痕がじんわりとスイッチを押した事は確かで、もっと、もっと二人だけの時間を過ごしたいと心が叫んでいた。
「あ、の・・・」
ぎゅっと樹の浴衣を掴む。
自分からこんな事を言うと思うと恥ずかしくて死にそうだけど。
「直斗?」
今までと少し違った様子に気がついたようで、樹が心配そうに直斗の顔を覗き込んだ。
その瞳を、まっすぐに見つめる事ができずに視線が彷徨う。
「連れて行って、下さい」
「!」
「あ・・・あなたの、部屋、に・・・・・・」
「直斗・・・」
驚いて目を見開く樹を見ていられなくて顔をそらす。
樹は、しばし沈黙すると直斗の手を取って足早に歩き出した。
「おじさんも菜々子もこっちに来てるから、そうすぐには戻ってこないと思うけど」
その一言に、これから自分達がしようとしている事がなんなのか嫌でも分かってしまって赤面が止められない。
境内を抜け、商店街を抜け、堂島家へと向かう。
背後には人のざわめきと、どこからか打ち上げ花火の音が聞こえていた。
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