謹賀新年










 一月一日。元旦。

「明けましておめでとうございます」
「あ、明けましておめでとうございます」

 晴天に恵まれた新年。
 一緒に初詣に行こうと約束した二人は、稲羽市ではなく沖奈市に向かう事にした。

 少しぎこちなく歩く直斗の様子を伺いながら、その装いに思わず笑みが零れる。
 樹はいたって普通の洋服だが、直斗はなんとわざわざ振袖を着てきてくれたのだ。
 自分に見せるためだと思えば、笑みが零れない訳がない。

 珍しく桃色を主にした振袖。
 短い髪にも大き目の花の飾りを付けて、その顔にもうっすらと化粧もしていた。
 羽毛ショールを肩にかけた直斗は恥ずかしげに視線を逸らしてばかりだ。

「大丈夫?」

 歩き辛そうな直斗に声をかけると、小さく頷く。

「こういう格好は慣れませんね」

 ちらりとこちらを上目遣いで見上げられて、思わずその可愛らしい仕草にくらりとしながらも何とか平静を保つ。

「俺の腕に掴まってもいいし、辛かったら遠慮なく言って」
「は、はい…」

 それじゃぁ、という小さな声にそっと伸ばされた手。
 まさか恥ずかしがりやの直斗が本当に腕に掴まると思っていなかった樹は内心驚きながらも、彼女の頬が先ほどよりもよりいっそう赤くなっているのを見て笑みが零れた。

 彼女の精一杯を無駄にしてはいけない。
 一度自身の腕をつかんでいる直斗の冷たい手に触れた。

「では、エスコートをさせていただこうかな」

 直斗の緊張を少しでも解したくて少しおちゃらけて言うと、彼女は先ほどとは違う可愛い笑みを向けて笑った。






 参拝先に沖奈市を選んだのは、いくつかの理由があった。
 一つはせっかくの休みなので遠出をしたかった事。二つめは二人きりで一日を過ごしたかった…つまりは邪魔をされたくなかったからだったりする。
 陽介たちとは大晦日から新年を迎えて初日の出まで一緒にいたのだし、初詣くらいは二人きりで過ごしてもいいのではないだろうか。
 もちろん陽介と完二・クマには邪魔をするなとは言ってあるがさすがに女性陣にそんな事は言えなかったので、今日二人で約束しているのは内緒だ。

 そんな理由もあって二人とも少しだけ寝不足だが、そんな事など気にならないほど今を楽しんでいた。





 駅を降りた時からすでに人の多さは尋常ではなかったが、こうして腕を組んで寄り添っていればはぐれる事はないだろう。
 人ごみに紛れ、彼女がぶつかってしまわない様に気をつけながら神社へと向かう。
 目的地に近づけば近づくほど人は多くなり、そのうちぶつからないように気をつけるなんて事が出来ないくらいの混雑になった頃に神社へとたどり着く。

「直斗、鳥居の真ん中って歩いてはいけないって知ってた?」
「確か、神様が通る道だから、でしたっけ?」
「そう。だから、俺たちは鳥居の端を歩かなくちゃいけないんだって。でも…」

 混雑具合を一瞥して樹は苦笑する。

「これだけ混んでいたら関係なさそうだよね」
「そうですね」

 直斗もまた苦笑を零した。

「お参りを先にすませようか」
「はい。それがいいと思います」

 神社をゆっくり眺めながらなんてとても出来ない人の多さに、とにかくお参りを先に済ませようと流れのままに足を進めた。

「手を清めたいですけど、そこにたどり着くのも大変そうですね」
「本当に。どれだけの人がここに集まっているんだろう」

 呆れを通り越して感心してしまうほど、普段は参拝客もまばらな神社に人々が集まっている。

「稲羽はあんなに静かだったのになんだが不思議です」
「うん」

 確かに稲羽市はいつも以上に人の気配がなく静かなものだった。
 一方、沖奈市はどこから出てきたのかと思うほどに人に溢れている。

「福袋は2日からの所が多いんだろ?」
「そうなんですか? さっき駅前の辺りのデパートが開店していたように見えたんですけど」
「へぇ。珍しいな。ああいうデパートや百貨店が集まっている所は競争意識が高いから同じ日に初売りしたりするけど、どこか一つでも開いていればそれを目的に人が集まるか…」
「なるほど。福袋ですか」
「俺たちも見てから帰る?」
「いえ。いいです。荷物になるし、それにもうないんじゃないですか? お昼も大分過ぎていますし」
「それもそうかな」

 少し残念な気もするが、確かにただでさえ振袖という慣れない格好をしている直斗にこれ以上の負担をかけさせられない。
 福袋を目的にするなら今度は二人揃って動きやすい格好で来よう。なんて未来の事を考えているうちに手水舎にたどり着き、まずは直斗の振袖の裾を持って彼女が手を清めて口を漱ぐ手伝いをする。
 次いで樹も同じく手を清め口を漱ぐ。
 そうして二人は神前へと向かった。

「いつだったかな。どこの神社か忘れちゃったんだけど、神社で神前挙式をしているのを見かけたんだ」
「そういうのって見る事って出来るんですか?」
「そこは出来たけど、他はどうなんだろう? さすがにそこまでは分からないかな。……すごく厳かで、神聖な印象だったよ。教会での結婚式も見た事があるし、それはそれで神聖なんだけどやっぱりまったく雰囲気が違ったよ」
「そうなんですか…。僕は結婚式に出席した事もないので、テレビで見るぐらいですね」
「直斗は?」
「はい?」
「結婚式するならどっちがいい? 神前挙式とキリスト教結婚式」
「え? ………えええええっ!!」

 突然真っ赤な顔で大声を出した直斗に樹は目を見開く。

「な、直斗?」
「!? すっすみません! 突然大きな声を出して……」

 ハッとしたように謝罪を口にした直斗は俯いてしまう。
 そうして、遅まきながら樹は気が付く。

 樹と直斗はお付き合いをしている恋人同士なのだ。
 結婚なんて言葉が出れば自然と自分たちに重ねてしまうのも当然だろう。
 場合によってはプロポーズになってもおかしくはない。

「あ………」
「…………………」
「あー…」

 俯いたまま顔を上げない直斗。その覗く耳は真っ赤になっていて樹もつられたように頬が熱くなった。

「……いつか…ちゃんと、言うから」

 さすがに緊張で言葉が詰まる。
 けれど、これは本心だ。
 今はまだ先は霧に包まれていて何一つ見えやしないけれど、いつか、と望む未来がある。
 その未来には直斗が必要で、今がそれを少しだけでも伝える時なのかもしれない。
 それを直斗も感じ取ってくれたのか、樹の言葉に僅かに顔を上げた。

「だからどっちがいいか、考えておいてね」

 彼女もまた緊張をしているのか樹の腕を掴む指に力が入っていた。
 その冷たい指先に触れ、少しでも暖かくなってほしいと擦る。
 すると僅かに指の力が抜け、傍らの頭が小さく頷くのが見えた。
 そんな直斗に愛しさを感じながら改めて手を添えたところで、賽銭箱に程近い場所までたどり着いた。

「直斗、お賽銭を投げよう」
「あ、はい」

 あらかじめポケットに入れておいた賽銭を投げ入れ、混雑ではきちんと二拝・ニ拍手・一拝は出来なかったけれど、最低限の礼をして願いをかける。
 ここでもやはり長くはお願い事も出来ず、後ろから押し寄せる人の波に勝てずに二人は神前を抜けた。

「何をお願いしたの?」
「先輩は何を願ったんですか?」
「うーん…内緒」
「だったら、僕も内緒です」
「直斗が教えてくれるなら、俺も言おうと思っていたのに」
「それってずるくないですか?」
「はははっ」

 むくれた直斗も可愛くて、思わず声を上げて笑うと直斗はますます拗ねた様にそっぽを向いてしまった。

「ごめん。直斗」
「…………」
「直斗」
「…………」
「おーい」
「…………」
「しょうがないなぁ。俺のお願い事教えるから機嫌直して」
「…本当ですか?」
「うん。本当」
「…じゃあ、教えてください」

 じっとしたから見つめられる。
 
「みんなが健康でありますように。と、来年受験だから成績アップかな」
「…それだけ、ですか?」

 少し不満そうに見えるのは気のせいだろうか。
 
「それから…」
「それから?」
「直斗ずっと一緒にいられますように」

 言えば、直斗は頬を染めてはにかむ様に笑った。
 そうして、僕も同じです。と続いた言葉に胸が締め付けられた。
 嬉しくて、愛しくて、一目もはばからず抱きしめたくなるほどに気持ちが高ぶる。
 けれどそれを堪えて頬を撫でるだけに留めた。




 本当は、少しだけ願った言葉は違っていた。要約すれば一緒にいたいという意味なのでそう言ったが。
 真実は。


 直斗の心が、俺から離れませんように。


 本当の事を言ってしまえばかっこ悪い気がして言えなかったのだ。
 やっぱり好きな女の子にはかっこいいと思われたいのが男心だろう。
 弱さを見せるにはまだ勇気が足りない。
 さんざん11月・12月あたりに弱さを見せておいて何を言うかと思われるかもしれないけれど、それとこれとは違うのだ。
 けして直斗が頼りないと思っている訳ではないけれど、やっぱりかっこいい彼氏でいたいから。


「直斗、おみくじ引いてから稲羽に帰ろうか」
「はい」






 これから、新しい一年が始まる。
 すでに決まっている別れもあるけれど、それを乗り越えて未来へと繋がっていく強さを手に入れたいと樹は強く願ったのだった。








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