始まり
初めて出会った時、直斗の視線に目を瞬いた彼。
二度目に会った時、疑っている事を伝えれば表情は変わらなくても瞳の色が変わったのを直斗ははっきりと分かった。
三度目に会った時、彼は明らかな敵意を持って直斗を見て笑った。
それから、真実を知るために自らを囮にした時、彼は何も言わずただ直斗を助け起しただけだった。
お世辞にも、お互い良い印象はなかった。
はっきりと言ってもいい。二人の間に友好的な感情はないはずだ。たとえ、こちらの感情が変化していたとしても、向こうは変化がないだろう。
そのはずなのに。
「白鐘、なにやっているんだ?」
「・・・天沼、先輩」
職員室の掲示板を見ていた直斗に利岐は気軽に声をかけてきたのだ。
事件の捜査以外に関わると思っていなかっただけに、この接触は直斗にとって意外な事でしかなく思わず探るように相手を見つめた。
「なに?」
じっと見すぎたのか、利岐は何度か目を瞬く。
「・・・いえ。先輩こそ、なにか御用ですか?」
「別に。ただおまえがこんなところに立っているから何をしてるのかと思っただけ」
「・・・はぁ」
いたから声をかけるなんて、いったい何を考えているのだろう。
直斗はやはり利岐が何を考えているのか分からなかった。
あれだけ睨み合ったというのに、なぜ。
「・・・掲示板を見ていただけです。あなたが興味を惹かれるようなことは何もしていないと思いますが」
「へぇ」
意味ありげにくすりと小さく笑う利岐に眉を寄せる。
「なんですか?」
「いや。別に」
「別に、と思っているような顔には見えませんが」
はっきりと言い切れば利岐はなぜか楽しそうに声に出して笑った。
「いいね。その切り捨てるような言い方。嫌いじゃない」
「は?」
本当になんなのだろう。
直斗は意図の見えない彼の物言いに苛立ちを覚える。
「からかっているんですか?」
「からかっている? 誰が誰を?」
上から見下ろすような視線が癪に障った。
「あなたが、僕を、です」
睨み付けるが彼は気にした様子もなく笑みを深くするばかり。
「からかっているつもりはないけどな」
「そうは見えませんが」
「本当にそうなんだけどな」
本音を言えとばかりに口調を強くしたのにやはり彼は涼しい顔で笑った。
そして何を思ったのか、突然手を伸ばしてきたかと思うと帽子越しに頭を撫でられた。
「なっ!」
突然の事に目を見開くと利岐は先ほどとは違う、優しい顔をして笑った。
あっけにとられて言葉もなく見つめていると、その手をひらひらと振る。
「じゃあな」
歩き去る後姿を呆然と見つめた。
「・・・な・・・なんなんだ。いったい・・・・・・」
お互い、良い印象なんてなかったはずなのに。
誤解をしていた直斗はともかく、彼は直斗に対しての印象を思い直したように見えなかった。
では、今の彼の行動は?
直斗は数少ない利岐のデータを頭の中で整理するが、答えは出なかった。
「あれ? 直斗じゃん。何してんだよ、こんなところで」
聞き覚えのある声に顔を上げれば、そこには思っていた通りの人物がこちらに向かって手を上げた。
「花村先輩」
彼も帰るところなのだろう。肩から鞄を提げている。
「あの、一つ聞きたいことがあるんですけど」
「なんだ?」
利岐とは違う、人懐っこい笑みを浮かべた陽介は快く頷いてくれた。
「天沼先輩ってどういう人なんですか?」
聞けば、彼は何度か瞬きをして首をかしげる。
「なんだ? 何か言われたか?」
「何かというか・・・」
苦虫を噛み潰したような顔で言葉を濁しながらも先ほどあったことを話すと、花村はプッと小さく息を噴出し、次の瞬間には声に出して笑い出した。
「先輩?」
いぶかしげに見れば、何とか笑いを抑えた陽介が予想外の言葉を言う。
「おまえ、気に入られたんだよ、あいつに」
「は?」
先ほどの行動のどこに気に入られたという表現があったのか。
「あいつ、捻くれてっから」
「はぁ」
「素直に本音をいえねーんだよ。毒だけはこれでもかっ! ってくらい吐くくせにな」
「・・・はぁ」
「それに、嫌いな奴には自分から話しかけないぜ、あいつ」
「そう・・・なんですか?」
何度思い返しても、好意的な態度に見えなかったのは気のせいなのだろうか。
「からかって、こっちがムキになって返してくるのを楽しむような趣味の悪い奴だけど、本当に嫌がることはしてこねーよ、きっと」
先ほどの態度はすこぶるこちらの気を逆撫でしたのだが。
「むかつく事も言うしやるかもしれないけど、根っこではやさしーぜ?」
「・・・・・・」
「たぶんな」
「・・・たぶん、ですか」
「おうっ。そうじゃなきゃ、俺らのリーダーなんてやんねーし頼まねーよ。こんな面倒な事、引き受けたりもしないだろうしな」
それもそうだろう。
一歩間違えば命を失うかもしれないようなこと、中途半端な気持ちで出来る事ではない。
「それに、おまえ助ける時、すげー必死だったぜ」
「え?」
思ってもいない事を言われて目を瞬く。
「真実を知るためにとはいえ、自分を危険な目にあわせた事には相当頭にきていたみたいだけどな。それをさせたのは俺たちだって」
「それは・・・僕が真実を知りたかっただけで、あなた方のせいではありません!」
「おまえはそうかもしれないけどな、俺らにしてみりゃ本当のことを知っているのに話さなかったってーのがあるからな」
「それは・・・しょうがない事でしょう。それに、聞いたとしても、信じなかった僕は同じ事をしていたと思いますよ」
「あー・・・まぁ、そうかもな」
テレビの中の世界に殺されるなんて、そんな事誰がいったい信じるのか。
陽介はそんな直斗に苦笑をこぼす。
「とにかく! あいつはおまえを嫌ってなんかいないからな。気に入られたのは間違いない! あー・・・でも、どっちかってーと・・・・・・・」
「? なんですか?」
ふいに口ごもる陽介を見上げると、彼は誤魔化すように笑った。
「いや、はははっ。なんだ、あれだ、あれっ!」
「あれじゃ分かりませんよ」
眉を寄せる。
「ええー・・・と・・・・・。あー・・・」
困ったようにぽりぽりと頬をかいた陽介ははっと目を見開き、両の掌を合わせた。
「シマッターッ! 急用を思い出した! じゃあなっ、直斗!」
片手を上げ、ダッシュで立ち去った陽介を呆然と見送る。
「な・・・なんだったんだ?」
訳も分からずに首をかしげたものの、ほかほかと胸の辺りが暖かくなっているのを感じた。
天沼利岐は直斗を嫌ってはいない。
その言葉が本当なら、嬉しいと素直に感じている己がいた。
テレビの中の彼は今まで見た誰よりも強かった。
聡明であり、冷静な判断と統率能力に長けていて。
直斗が目指す姿がそこにはあった。
そんな人を嫌う事などできるはずもなく、最初の出会いから彼のことを知るごとに感情が変化していった。
お互いの始まりが始まりだったから、近づく事はかなわないと思っていたのだが、もし嫌われていないのなら、もう少しだけ、利岐の事を知る事ができるだろうか。
彼が触れた帽子に触れる。
利岐が浮かべた最後の笑顔を思い出して直斗は微かに笑みを浮かべた。
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