恋しちゃった日
ぼくがゲオルグに恋をした日は、悲しいことに嫌なことがあった日だった。
算術の授業の後、次のゲオルグが担当している武術指南の授業が楽しみで、リオンが迎えに来るよりも早く部屋を出たぼくは、そこで、聞いてしまった。
王位継承権のない男なのに、なぜファレナ女王家の特徴を色濃く継いでいるのか。
役に立たない、王子。
貴族達が影でいつも思っている事。いつもの事と言えばいつもの事だけど。
だからって平気というわけでもなくて、少なからず心が痛む。それでも、ぼくは彼らが立ち去るのを黙って待った。
彼らの言い分も分かるから。
けれど、次に彼らの口から出てきた言葉に、これまでにない衝撃を受けた。
「しかしあれだけの容姿ですからな。他国に婿に出すにしろ、ファレナの貴族と婚姻を結んだにしろ、稚児にされそうですな」
「確かに! 今の少女ともつかない姿なら男でも良いかと思ってしまいそうですよ」
ぼくの事をそんな目で見ていたというのか。
恐ろしくて心が凍り付いた。
気づかれるかもしれない、なんて気が回らず、ぼくは彼らのいる廊下とは反対の廊下へと踵を返して走り出した。
走って走って太陽宮の奥にある、知る者も少ない中庭に出た。
けして大きくはない庭の、さらに隅にある木々の影に隠れるように座り込んだ。
涙がとめどなく溢れる。
悔しくてしょうがなかった。
確かにぼくは男にしては骨格が細いし、顔だって母に似て父のように男らしくもないかもしれない。
それでも、尊敬する母から譲り受けた容姿はぼくの誇りだ。
それを・・・あんな風に思っていたなんて!
・・・それから、どれくらい時間が経ったのか。
ゲオルグの武術指南の時間がとっくに過ぎてしまっていると気がついたのは、ようやく涙がおさまった頃だった。
みんなが心配しているかもしれないと思ったけれど、泣きはらした目をしたまま戻ることもできず、申し訳ないけれどもう少しここにいることにした。
リオン、探しているかな・・・。
後で謝らないと・・・。
ゲオルグにも悪いことをしてしまった・・・。
あんな事があって泣いていたなんて、絶対に言えないから何か言い訳を考えないとなぁ。
それはそれで大変かも。
思わずため息がこぼれた。
その時だった。がさりと葉が鳴る音がしてびくりと肩を竦めさせる。
「・・・ファルーシュ」
そうして現れたのは今まさに考えていた大柄の男。
父の古くからの友人で、信頼も厚い、凄腕の剣士。
ぼくの、憧れの人。
「ゲオルグ・・・」
「探したぞ」
泣きはらした顔の事には一切触れず、ぼくのすぐ隣に座り込むと大きな手でぐりぐりと頭を撫でた。
それこそ手加減なく撫でられたので髪の毛がくしゃくしゃになっているだろう。
けれど、そんなことよりも、その眼差しの優しさに目を奪われてぼくはゲオルグを見つめることしか出来なかった。
「なんだ? 変な顔して」
「・・・怒らないの?」
もっと違う事が言いたかったのに、口をついて出てきたのはそんな事だった。
「ぼく、武術指南の時間・・・さぼっちゃったよ?」
「そうだな。・・・だが、気がのらん時もあるだろう。そういう時に学んでも、大して力にはならんからな。時には休むことも必要だ。それにおまえは、俺が見ても真面目すぎるくらいだ。多少さぼったところで問題はないだろう」
そう言って笑ったゲオルグに、ぼくは申し訳なくてうつむいてしまう。
「ごめんなさい。・・・ありがとう」
きっと、何事かあったのを察しているのだろう。けれど、何も言わないぼくの事を気遣って聞かずにいてくれている。
それどころかそんな風に優しくしてくれるなんて・・・。
また、泣いてしまいそうだ。
ぼくは首を振ってその衝動を振り払う。
たくさん泣いたんだ。
もう、涙はいらない。
・・・・・・うん。もう大丈夫。
そうして、気分を切り替えて改めてゲオルグを見上げた。
「ねぇ、ゲオルグ」
「なんだ?」
すっかりくつろいだ様子で木に背を預けている姿に笑みが浮かぶ。
「よくこの場所が分かったね」
「ん? ああ。まあな」
「まあな、って・・・」
はっきりしない言い方に眉を寄せる。
「・・・カンだ」
「カン?」
「ああ。時間になっても来ないから、どこにいるんだろうと探し回っているうちに迷い込んだ。そうしたらおまえがいた」
「それって・・・カンじゃなくて・・・・・・ま、迷子じゃないの?」
いけないと思いつつも笑い声が漏れる。
だ、だって! ゲオルグが迷子って!
大人で、この大きな体で、迷子って!!
堪えきれなくなって、ぼくはお腹を抱えて笑ってしまった。
「・・・そんなに笑うことないだろう」
少し拗ねたような口ぶりがなんだか可愛くておかしくて、ぼくはさらに笑ってしまう。
「まったく・・・」
止まらないぼくを呆れたように、けれどゲオルグも少し笑みを浮かべてみていた。
「はー・・・笑った」
「そのようだな」
あれからぼくは、本当に笑いを止めることが出来ず、けっこうな時間が経っていた。
途中呼吸困難に陥りそうになったけれど、それでも笑い続けるぼくに今度こそ呆れた顔を見せたゲオルグは、それでもずっと傍にいてくれた。
「明日、お腹が筋肉痛になりそうだよ・・・」
笑いすぎてたくさん涙が出た。
それこそ、はれていた目も、最初の涙か今の涙かどちらの原因によるものか分からないくらいに。
「・・・ゲオルグ。ありがとう、本当に」
「笑われてお礼か。素直に喜べんな」
「それはごめん。・・・・・・でも、ぼくには必要だったから」
おかげで元気が出たよ。
言外に意味を込めてぼくは笑った。
「・・・そうか」
ならいい。と、ゲオルグが笑う。
「・・・!」
ああ。なんだろう。この気持ち。
なぜだか気恥ずかしくて、胸がムズムズする。
心の底から湧き上がる温かい感情が、なぜかきゅうっと胃の辺りを締め付けている気がした。
「ファルーシュ?」
ぼうっとしているぼくの顔を覗き込んできて、その顔の近さに驚く。
金の瞳が、ぼくの目を捉えて、彼の瞳に映っている。
「!!」
ぼくは慌てて立ち上がり、急激に火照り始める頬を隠すように宮廷に足を向けた。
「おい・・・」
「ゲオルグ、早く行こう!」
あああ。変な態度を取っているよ。
分かっているけれど、今はまともにゲオルグの顔を見ることが出来なかった。
心臓が、破裂しそうなぐらい、早く動いていた。
それが恋であると知ったのは、もう少し先の事。
でも、この日こそゲオルグに恋をしてしまった日だと、ぼくは確信している。
そしてさらに後になって分かった事がある。
それは、この日の貴族達の言葉をゲオルグも偶然聞いてしまったということだ。
走り去る足音がぼくだと分かって追いかけてくれた上に、一人泣くぼくが落ち着くまで、ずっと待っていてくれたんだって。
優しいゲオルグ。
ぼくを思いやってくれてありがとう。
・・・大好きだよ。
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