そんなに駄々を捏ねないでください











「カイト」



「カーイートー」



「カーイト」



「カー…」



 名を呼ばれるのはこれで何度目なのだろうか。

 初めのうちはカイトも呼ばれるたびに返事をしていたのだが、彼 は用件を言う訳でもなく、ずっとカイトの名を呼び続けるだけだっ た。
 そうしているうちに返事をするのもなんだか面倒になり、カイト は彼の、ティルの呼びかけに反応しなくなった。

 だが、そうしたらそうしたで、ティルはさらに…それこそ煩いぐ らいに連呼し始めてさすがにカイトはため息を吐いた。

「ティル」

 静かに呼びかけると、胡乱な眼差しを向けるティルがいてまたも ため息を吐く。

「言いたい事、聞くよ?」

 問いかければ、今度は無言。
 じーっとこちらを見つめ続けられるのは、他者の視線に鈍いカイトでも気になって仕方がなかった。

「ティル」

 もう一度呼びかけると、ティルはそれまで座っていた椅子から立ち上がり、ベッドで洗濯物をたたんでいたカイトの元まで来ると隣に腰を下ろした。

「どうしたの?」

 ぐりぐりと、肩に額を擦り付けて甘える仕草をする。
 めずらしいな、とバンダナをつけていない頭を撫でた。

「なにかあったの?」
「…………………」

 さっきから何度も名を呼ぶのも、無言でこちらを見るのも、こうして甘えてくるのも何か理由があるのだろう。カイトは辛抱強くティルが話し出すのを待った。

「……夢を、見た」

 やがてぼそりと呟かれた声。
 カイトの肩口に顔を埋めているため、少々聞き取りづらかったが聞き間違いではないだろう。

「ずっと昔の」

 ああ。と、カイトは目を伏せた。
 彼の言う『ずっと昔』。それはおそらく150年ほど前の事だろう。
 真の紋章持ちであるカイトとティルは不老であるが故に長い時を生きてきたのだ。

 ちょうど150年ほど前頃は、ティルがまだ紋章を受け継いだばかりの頃だ。
 そして、カイトと出会ったばかりの頃。

「あいつがさ、オレに聞くんだ」
「あいつ?」
「……………」

 その沈黙だけで誰の事を指しているのを察し、カイトは口をつぐんだ。

 その人は、カイトにとってもティルにとってもとても大事な人だった。
 ティルの持つ、真の紋章の前の持ち主・テッド。

「カイトは元気か?って」
「え?」

 どきりと、鼓動が鳴る。

「オレの屋敷で。カイトの話なんてした事なかったのに、まんじゅうを食いすぎて腹を壊してないか?とか、紋章使いすぎて倒れてるんじゃないか?とか。……ちゃんと、生きてるか?って」
「………………」

 今度はこちらが黙り込む番だった。
 懐かしい感情に心の中が溢れそうになって言葉を紡ぐ事が出来なかったのだ。

「あいつさ、オレの事なんてそっちのけでお前の事ばかり。それはさ、別にいいさ。それよりも、あいつお前に会いたいって言うんだ」

 息を呑む。

 ティルは顔を起こし、左手に宿る紋章を撫でた。
 持ち主の近しい者の魂を食らうソウル・イーター。
 テッドは今、その紋章の中で眠っている。

「昔の夢見て感傷に浸ってたって言うのに、勝手に人の夢に出てきてさ。挙句の果てにカイトに会わせろって言いやがった」
「それは……」

 ソウルイーターに食わせろ、という事だろうかと首をかしげる。

「食わせてなんてやらないよ。テッドに会わせない」

 鋭い眼差しで見つめられてカイトは苦笑した。

「何がおかしいんだよ」

 真剣なのだと訴えられてそれに異論はないと頷く。

「……俺も、会いに行かないよ」

 言い切ったというのに、ティルはどこか動揺したかのように戸惑いを見せる。

「会いたくないのか?」
「会いたいよ」

 素直な想いだった。
 かつて、心のすべてをささげた人なのだ。会いたくないはずはない。
 けれど、今は目の前のこの人の傍にいると決めた。

 テッドの大切な人だから。
 長い時を共に歩んで、それだけではない感情も生まれつつあるから。

「きみと一緒にいるって決めたから」

 微笑めば、ティルは僅かに頬を染めた。
 そしてそのまま抱きしめられて、カイトは彼の腕にそっと触れる。

「じゃ。言うぞ、テッドに」
「うん?」
「カイトはオレのだって。駄々を捏ねないで大人しく紋章の中で寝てろって言うぞ」
「それは……」
「ダメなのか?」
「ダメって言うか……」

 ティルの気持ちにはなんとなく気が付いてはいた。
 カイトに好意は持っているだろう事は分かっていたのだが、直接言われたのは初めてかも知れない。

「どっちなんだ」
「………………」

 困り果てて眉を下げる。

「後10秒の内に返事をしないと承諾とする。で、テッドに言う。カイトはオレのだって」
「ちょっ…」
「なんだよ、問題あるのか?」
「ある、よ」

 こちらの気持ちはまだはっきりと形になっていないのだ。正直な事を言えばテッドへの気持ちもまだ過去のものへとなりきれていない。そんな状態なのにティルの気持ちに応える事は出来なかった。

「ない」
「ある」
「ないっ」
「ティル……」

 カイトは再び大きなため息を吐く。

「きみこそ、そんなに駄々を捏ねないで」

 言えばむっすりと顔をしかめたトランの英雄の姿があった。
 機嫌は損ねているだろうが、折れてくれたのだろう。

 こうして散々駄々を捏ねたわりに素直に引き下がってくれる辺り、こちらの気持ちを慮ってくれているのだと分かって、カイトは心の中で「ありがとう」と呟いたのだった。








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